中立進化説をわかりやすく

木村資生(きむらもとお)が定式化した分子進化生物学で最も有名かつ基本的な概念、「中立進化説」についてざっくりと一般向けに解説を行う。

分子進化生物学における進化とは?

遺伝子(あるいはゲノム)の塩基配列の変化、というのが進化を最も端的に表す言葉となる。ここでは簡単のため、タンパク質に翻訳される遺伝子についての進化のみ扱う。

生物学における「進化」はポケモンにおける「しんか」とは全く意味が異なる。ポケモンでは「おや……? トランセルの様子が?」といって蛹から羽化する様子も「しんか」として扱われているが、こっちの生物学ではそれを変態と呼ぶ。また、ピカチュウがライチュウに「しんか」するときにピカチュウそのものの個体がライチュウに「変化」するので、これもまた我々の世界では「進化」と呼ぶことはない。オーキド博士は我々の世界では学会追放である

我々の世界における進化は基本的に世代交代を伴う。親が子を生む過程において進化が起きるのだ。

有性生殖をする生物において、親の生殖細胞系列(精子や卵の細胞系列)の複製過程においてDNAの複製ミス、あるいは何らかの要因によってDNAに変異が入ることがある。通常、変異が生じた場合はすみやかに修復や置換が行われるため問題となることは多くはないが、修復しきれない場合が存在する。

そうした修復しきれない変異についてはDNAに刻まれたまま次世代へと伝わっていく。

次世代は1細胞から始まっていく。つまり、親から半数ずつ受け継いだゲノム1セットをもとに分裂・複製が始まっていく。親の配偶子(精子・卵)に入っていた変異は次世代のゲノムに引き継がれるのだ。これが進化の原動力である。

遺伝子に変異が入ると?

さて、遺伝子に変異が入って次世代へと伝わるとどういった影響があるのだろうか? ここではざっくり大きく3つに分けて考える。(ほぼ中立説については扱わない)

1.その個体に有害な影響をもたらす

変異といって一番最初に思い浮かべるのがこの「有害な影響」ではないだろうか。なにかの病気にかかりやすくなる、先天的障害を持って生まれる、等々。

実際、そうした病気に関わるような遺伝子に「有害な変異」が入った場合、そのような事象は起こる。さらに言えば個体発生が終わったあとも体細胞においてある遺伝子に有害な変異が入ればガン化するなど、塩基配列に入る変異は時として個体に悪影響をもたらすのだ。

2.なにも起きない

DNAに変異が入ったからといって何も起きないことだってある。そしてこれが今回の主題、「中立進化説」のコアとなる部分である。詳しくは後述。

3.有利な影響をもたらす

ある突然変異は時として「有利な」変化をもたらすことがある。例えばある消化酵素に変異が入ることによって毒キノコを食べられるようになるかもしれない。毒キノコ(その個体にとってはもはや毒キノコではないが)ばかりの環境においてはその変異は栄養摂取の面において有利となる。そうして他の個体よりも有利となった個体はより多くの子孫を残すことができる確率が高くなるために集団中にその変異を持つ割合が増えていく。

「有害な変異をもつ個体は生存・子孫を残すのに不利なので取り除かれ、有利な変異を持つ個体は子孫をより多く残せるので集団中にその変異が広まっていく」と書けば「ああ」と納得できるだろう。ただ、実際には「有利でも不利でもない表面上何も起きない変異」がたくさん起きているのである。

ではその「何も起きない変異」とは何なのだろうか?

中立な変異とは?

この「何も起きない変異」を有利でも不利でもないので「中立な変異」と呼ぶ

ではこの中立な変異とはどのようなものなのだろうか? 他の変異とは何が違うのだろうか?

そこでキーとなってくるのが高校生物で扱う「遺伝暗号表」だ。

まず遺伝子がどのようにして表現型に影響を及ぼすのかをざっくりと説明する。

遺伝子はDNAの塩基配列上に存在し、転写され、mRNAを介してアミノ酸配列になる、そしてアミノ酸配列はプロセスを経て活性を持つようになり、一部はタンパク質として機能するようになる。ざっくりいうとこのタンパク質の機能が表現型に影響をもたらすということだ(厳密にはもっと複雑だが)。

さて、タンパク質はアミノ酸配列から成るわけだが、そのアミノ酸をコードするコドンは必ずしも一通りであるとは限らない。例えばアラニン(Ala)なんかは上の表1において「GCU, GCC, GCA, GCG」の4つのコドンによって指定される。この場合、3つ目の塩基配列が「AGCU」のうちどれであってもアラニンをコードするため、このようなものを縮重(しゅくじゅう)と呼ぶ。

さて、ある遺伝子配列があったときにその一部でアラニンをコードしている部分があったとする。例えば「GCU」として転写されるものだと仮定しよう。そしてこの配列が「GCC」となる突然変異が起きたとする。しかし、アラニンは先に述べたとおり4つの縮重があるためにコードされるアミノ酸配列に違いはない。これを同義置換という。

逆に、この「GCU」が「CCU」となる変異が入ったとすれば、コードされるアミノ酸はアラニンからプロリンとなる。異なるアミノ酸配列に変わってしまい、結果としてタンパク質の機能に影響を及ぼす可能性がある。これを非同義置換という。

中立な変異の1つはこの縮重による同義置換に由来する。

しかし非同義置換であったとしても中立な変異である場合がある。例えば酵素をコードする大きなアミノ酸配列を仮定する。活性部位とは異なり、あまり立体構造にも影響しないようなアミノ酸残基が非同義置換によって変化し、酵素活性自体に大きな影響がないような場合、これもまた「中立な変異」の1つとなる。

ただ、先に述べたとおり、この非同義置換は有害な変異となりうる場合が多い(タンパク質だと活性や立体構造に関わってくるため)。そのため、多くの非同義置換は選択(淘汰)され、有害なものについては集団中から取り除かれていく。

逆に言えば、中立な変異については表現型に影響を及ぼさないために選択を受けない。そのため集団中に広がっていくこととなる。存在する有利・不利・中立の変異の割合としては中立な変異の割合が一番高い。

機能遺伝子以外の変異

さて、ここまでは機能遺伝子、ここではアミノ酸・タンパク質をコードする遺伝子について述べてきた。

機能遺伝子に入った中立な変異は自然選択を受けないため、遺伝的浮動などの偶然の要因によらない限り集団中から基本的に取り除かれない。逆に不利な変異は取り除かれ、有利な変異は広がっていく。

では機能遺伝子ではない、つまり、遺伝子以外の配列や偽遺伝子(機能していない遺伝子)についてはどうなるのだろうか?

ある要因によって遺伝子は重複、すなわち「コピー」されることが知られている。コピーされた遺伝子は機能する場合もあるが、転写されないために個体の表現型に影響を与えないものもある。

では「このコピーされたものの転写されない遺伝子」に入った変異はどうなるのだろうか?

答えは単純で、入る突然変異はすべて中立な変異となる。なぜなら「いてもいなくても同じな遺伝子にどれだけ変異が入っても個体に影響はない」からだ。こうしてコピーされた遺伝子にボコボコと変異が入っていき、さらにそれは中立な変異であるので選択を受けず、集団中に広まっていく(遺伝的浮動によって固定されたり、取り除かれたりすることもある)。

そうしていくうちに、もとの機能遺伝子と比べたときにコード領域でフレームシフトを起こしていたり、コード領域自体が短くなっていたりする。もはやそれは機能遺伝子とは呼ばず、偽遺伝子と呼ぶ。

偽遺伝子化した遺伝子について調べたとき、もとの遺伝子と比べて進化速度が速いことがわかっている(つまりどんな変異が入っても中立だから!)。

おわりに

ざっくりと中立進化説について説明した。

中立進化説は分子時計などの計算の礎となっているほか、例えば「タンパク質の重要な機能がどこであるのか?」といったようなことを推測する方法にも影響を及ぼしている。簡単に言えば、「遺伝子配列・アミノ酸配列を比較したときに同じ・似ている領域(進化的に保存された領域)」はその遺伝子の機能にとって重要であるという考え方である。

木村資生は日本を代表する集団遺伝学者であったが、こう今ひとつ一般での知名度が低い(私と同じ高校の出身であるので特別な思いもあるが)のでなんとか広めていきたいと思い少し書いてみた。私自身、分子進化生物学や集団遺伝学は勉強中の身なので、もし指摘等あればコメント欄まで。

私の前のボスが木村資生の講演を聞いたことがあるらしく、曰く「一人のスターが存在することによって周りに優秀な人間が集まり、日本の集団遺伝学は勢いづいていた」とのこと(うろ覚え)。彼亡き後に生まれた人間にとっては比較のしようがないが、活気づいて集団遺伝学の日本語の本とか……出して……欲しいな……(英語の教科書は積読中)。

4年前、神保町の古本屋で木村資生の論文集が売られていたのを見つけ手に取ったが、あまりの難解さに棚に戻してしまった。今でも買っておけばよかったと後悔している。

おわり。

質問と回答

単純化したモデルの隅をつつき始めるときりがないので触れていなかったが疑問点をぶつけられたのでその回答の一部。

Q. 同義置換は本当に中立なのか?

A. 厳密に言えば中立でない場合もある。それはCodon usage バイアスに由来するものが1つ理由としてあげられる。Codon usage バイアスとはその名の通り「使われるコドンに偏りがある」ということである。生物種によってそのCodon usageが異なることが知られている。tRNAプールにおけるそのコドンの割合の違いなども研究されている。

縮重によってあるコドンの3つ目が同じアミノ酸を指定するものに変異したとしよう。しかしそのコドンはその生物種にとっては「レア」なものであるために転写効率が落ちる。結果的にその遺伝子における転写効率が下がり、適応度に影響を与える、という場合が考えられる。

もっと言えば、RNAの二次構造に影響が出てきたりする場合もあるため、言い出したらキリがなくなってくる。(もっともっと言えばゲノム中の遺伝子の領域外の変異であってもクロマチンなどの立体構造に影響を及ぼす部分での変異は中立ではない、など)

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