基礎生物系の博士課程を今年ようやく終える。本RTAのレギュレーションは
- 筆頭国際論文3本(アクセプト済み)
- 筆頭国際論文1本(投稿中)
- 標準年限(3年)
でした。完走した感想ですが(激寒)色々と失ったものも多いのでぼやきとして書き残しておきます。短縮する余地は大いにあって、まず今年が閏年だったので一日ロスしているのと、早期卒業制度があるのでもっと早く馬車馬のように働いて成果出して早期卒業したら良かったと思うよ。再走はしませんが、やるとしたら異分野でやります。これ、興味ない人は読まなくていいよ、内輪向けです。飲み会で別ラボのB2の子に「いつもブログ読んでます! DCの記事好きです!」って言われて(名前明かしてないんだけど)って思いながらも、読んでくれる人がいるならちゃんと書き残しておいてもいいかなと。泥酔で、それも深夜2時に書いているので誤字脱字は許して。
大学受験の失敗と学部入学
高校時代、大学の第一志望は関西の某大学だった。受かることもなく、後期試験で拾ってもらった大学に入学。そういう人間が多く集まる大学だったこともあり、「仮面浪人しない?」という同級生の女の子からの誘惑に一時は惑わされたりしたりもしたが(彼女は無事に合格した。私はつくづく誘惑に弱い人間だが、馬鹿なことに参考書まで書い直したが、受験から二月も経ってないのにすっかり抜け落ちていることに愕然として諦めた)、結局は研究という道の面白さに引き込まれていくことになる。結局仮面浪人なんてしなくてもよかった、と私に限って言えば思う。もちろん仮面浪人自体を否定する気はないし、彼女は彼女で今でも頑張っている。
きっかけは学内で自由に研究していいというプログラムがあったことだ。自宅で飼育していた魚を実験材料に色々と自分の仮説の検証などを通じて論文を書いたり発表したりして、賞をもらったりもした。そこからはもう「大学で将来は研究者になるぞ!」という気概を持つようになり、同じような志を持つ親友とともに二人輪読会をしたり、切磋琢磨したりした。
日常生活でも色々とあったりしたが、なんとかまだ未来は自分の努力次第でどうにか良くなっていくだろうという強い希望みたいなものは確かにあったように思う。だから毎日遅くまで勉強したり、研究室でバイトしたり、研究室配属後も研究を頑張ったりした。他大学との合同の勉強会にも参加したり、研究とは関係ないプログラミング技術を磨いたり、そう、このブログの前身もその頃くらいに作ったりしてたかな。共著の一本はこの頃にずっと手伝っていた研究に入れてもらった。
そんなこんなで、数少ない友達とともに別の大学へと院進。私は東京へ、友達は沖縄や三島へと行った。
後悔と言えば、京都に来たものの結局全然観光もせず、飲みに行くにしても餃子の王将。バイトをろくにしなかったせいで生活はかつかつ、貯めた金は専門書や解析のためのPC代に消えていく。でも、それもまあ、良かったんじゃないかって。過去の自分を肯定してやらないとあまりにも惨めで勿体ない学部生活だった。
大学院進学に伴うラボ変更とコロナ禍
ラボを替え、上京。引っ越し早々にカンピロバクターで熱にうなされ、最悪だった。何かと体調を崩すことが多い私だが、このときばかりは死ぬかと思った。呼ばれていたラボ飲み会にも行けず、ラボではボスの「やべーやつ」という情報しかなかったせいでやべーやつになっていたようだが。
4月1日からもう実験装置の組み立てに入り、研究をスタートした。ボスとの打ち合わせはあまり覚えていないが、好きにやらせてくれるという感じだったので好きにやらせてもらった。
ほぼ一年、研究に専念し、論文を書いたりした。このあたりのことは別の記事にも書いた。楽しく大学院生活をしていたわけだが、突如としてその日常は新型コロナウイルスによって奪われることとなった。ちょうど体調を崩していた時期とも重なって最悪だったが、逆に言えばラボに行かずに引きこもって論文の執筆に専念できたという利点もあった。コロナのおかげでとあるNPOから資格試験のWeb試験構築の依頼が入ってきてそれによって比較的安定な収入も確保できるようになった。
しばらくして出校が許されるようになったが、「ある避けがたい事由」により不眠を呈するようになったりした。
そんなこんなで体調をやや崩しながらも修士は無事終了。学会での対面発表はゼロ。まぁ博士課程に行けば……と思っていた。ちょっと経験値がないのが不安だったけど。学振DC1にも無事通ったので、ある程度生活の見通しもついて精神的にも多少は安定した。
博士進学と同棲、就活
博士課程に進学した頃はやはりまだこの分野で生き残って研究を続けたいという意志があった。これから発展していく技術もたくさん見てきたし、RNA-seqが一般的なラボでも実施できるような低価格に落ち着いたようにそれらの技術もやがて自分の研究対象でも使えるようになるだろう、自分もやってみたいという気持ちがあった。よく「技術を磨きに留学」みたいな話を聞くが、私はそもそも研究のモチベーションは「明らかにしたい」という一点のみであり、そのためには手段は問わない、と考えている。テーマあっての技術で、技術あってのテーマではない。
同じ頃長年付き合ってきた人と同棲することになった。家賃生活費折半すればDC1の給料でも暮らせるんじゃねという安易な考えがあった気がする。特に結婚とかは考えていなかった。まだ先の話だと思っていた。どこかまだ、先の話で、自分には関係がないと……。それは就職についてもそうだった。
ただ、いよいよD2になって「アカデミアに残るか就活をするか」というときになって、やはり連れに押されて(押されるがままに)就活を始めた。アカデミアの公募は一般に募集開始と勤務開始の間が短い、つまりギリギリまで就職先が決まらない状態になり得るということがよくある。それが私の一番の懸念であった。就活に関しては先述の検定試験向けにオンライン受験システムの設計・構築・運用をしていた経験があったためにITをはじめ、どこも書類選考やコーディングテストで落とされることはなかった。ただまぁ、せっかくなら自分のやってきたことに少しは沿わせてみるか……という気持ちで製薬企業のインターンに行った。
2ヶ月間。ちょうど論文がリジェクトされて、次の雑誌に投稿するに向けて実験も夜中や土日にこなしつつ、平日昼間は企業で研究。楽しみは開発(コーディング)の快楽と(今まで生きてきて一番美味しいと思える)社食だった。社食だけでもこの会社に行きたいと思ったが、どうやら別の場所に移転するので社食も変わってしまったんじゃないかと危惧している。
就活自体は難航しなかった。製薬大手二社だけ受けて、二社とも内定をもらって、それでおしまい。インターン先の企業にしたが、あとからインターン時の評価書を見たら研究は最高評価だったが、コミュニケーションは低評価。自分でコミュ障だとは思ってなかったけど親彼女から色々問題点を羅列されるにつれて自信を失い、ついには自分のコミュニケーション能力に難があることを認めざるを得なかった。大学院の研究やWeb試験システム構築もそうだが、基本チーム経験が皆無なのでここは改善したい箇所ではある。頑張って最近はテレビを(字幕をつけて)見て日本語のリスニング能力を向上しつつ、常識を勉強している。SPIみたいなのを受けたけどさっぱりだったので。
この頃は体調も良く、順調に再投稿した論文の査読も通り、ようやく卒業後の見通しがつくようになった。ただそれと同時に「アカデミアに本当に残らなくていいのか」という言葉だけが、しつこく、私の心の底の、ちょうど手の届かない位置から私の精神をじりじりと蝕んでいた。研究会で民間に就職するってお世話になった先生に話したら「日和ったな!」って笑われたり。まぁでも多くの反応は「民間に行ったほうがいい」というもので意外とも感じられた(その多くの人たちが任期付きのポジションであることは言うまでもないが)。
博士課程で学生結婚
2023年の3月にちょっとしたことがあって、色々と不安定になったりした中、急に妻が結婚をすると言い出して、色々とあれやこれやと進めたりした。コロナになったりしたが、なんとか無事付き合い(おそらく)7か8年目にして結婚した。
結婚式、目立つのが嫌なのでやらなかったが、お金があるならやったほうがいい。みんな祝い金だとかで困ってたので。
名字問題は揉めた。保留としての夫婦別姓があっても……と書きかけて、それ、結婚自体保留したほうがいいのでは……とも。というか、私は結婚にあまり乗り気じゃなくて、就職後であればおそらく祝い金がもらえる(妻はもらっていた)のでそれが欲しいというのもあった。特に今するメリットは……女除けくらいとしか……。ただまあしたいというので、した。
妻の病気と自分の病気
ここからあまり雲行きは怪しくなる。学会で初めての大会での口頭発表を控えている最中、救急隊から連絡があり、すぐに新幹線に乗って帰ることになった。それが何度か続いて、疲弊して、事由が事由だけに誰に相談することもできず、抱えながら、ただ研究も続けた。
予備審査やその他共同研究のための出張など色々忙しくしていて、いや、忙しかったからこそ正気のようなものを保てたのかもしれない。
そんな中、ある日自分の尿が赤いことに気付いた。腎臓の研究をしていることもあり、「痛みのない(=結石のない)血尿はヤバい」ことはすぐにわかったのですぐに病院へ。
当然医者も「このようなことは……あまり良くない事が多いので……」と。つまりがんの可能性があるということだ。最悪だ。がーんって言おうか言うまいかずっと迷っていたら診察室から追い出された。尿道から膀胱内視鏡をしたが、叫ぶほど苦しかった。「ウワーーーーーーーー!!!!!!!!! 出ます! 出ますって!」って叫ぶも「入っていきますよー」と無慈悲に検査を進める医師。膀胱には石も腫瘍も何も無い。問題があるとすれば腎臓、もしくは肝臓か。ただそんな中でも研究は進めなければならない。周りにはそんな病気の話なんてしたら変な気でも遣わせてしまうだろうし、まだ診断がおりたわけでもないのに言うわけにもいかない。
私は死ぬのか? そうしたら今の論文はどうなる? 何としてでもそれは世に出したい論文であった。それでもまた出張先で電話は鳴り、私は深夜まで妻がかかっている病院と電話をしたり。頭がおかしくなるとしたらこのときのように思えるが、もっと前からおかしかった。
人生初CTスキャンをして(これは研究対象でもやりたいなとおもった)、「限りなく癌の可能性は低い、ただの腎結石(ただし大量にある)」という結論に至った。とりあえずほっとした。が、妻も妻でおかしいので、今度は急に引っ越しをする(博士論文を控えた12月にだぞ! 頭がおかしいのか?)というので、渋々水道ガス電気ネット引っ越し手続き等すべてこなしながら研究を続ける。死ぬ。
いよいよ引っ越し直前になって妻が入院し、妻の会社の人ともやり取りしたり、引っ越しを手伝ってもらったりもした。感謝しかない。ここには書かないが、家族親類間でも相当ないざこざがあったことは言うまでもない。
しかし時は待ってくれなどしない。どんな窮地に立たされていようともウワーと言いながらやっていくしかない。時間を見つけてはコツコツと博士論文を書きつつ、年を越し、妻に色々付き合って買い物とかをしながら公聴会の準備を進めていくうちに何か目がおかしい。眼科に行くと飛蚊症。眼底剥離はなさそうだが、鬱陶しいのでもう白画面は見たくないです。それでもなんとか無事に準備は終了。大きな結石は一週間くらい前に、そして公聴会当日の朝にも結石が出た。
公聴会が終わったあと、私は晴れやかな気持ちで次に向かえると思っていた(出すものも出したしな)。
何か、公聴会が、全部これまでの災厄にピリオドを打ってくれるのだと期待していた。
唯ぼんやりした不安
しかし、そんな明確なピリオドなど何もなかった。そんなもの誰がくれる? ボスが「はい、おしまいね」なんて言ってくれるわけでもあるまい。まだ投稿論文があるので、引き続きラボで実験したり論文を書いたり、フィードバック受けた分を直したり。なんか今までと変わらない日々が続くせいで、これがいつまで続くのか、そしてこの論文を書き終えたときに何が待っているのか、そんなぼんやりした不安。
妻の状態が状態にも関わらず「私は自分の学会行きたい どうしても」というので、「お前私の学会発表台無しにしておきながらどの口が言うんだよ!!!!!!!!!」とキレながら私も同伴して異分野の学会についていったり、論文を書き終えたあとも慌ただしい日々を過ごすことになって、少しだけ気は紛れたが、やはりアカデミアに残って今の研究を続けたいという気持ちが燻っていることは否定のしようがない。色々と次の(すげえ刺激的な)新しい研究のお誘いなども頂いたりしたが、断らざるを得ないわけで、そういう事態に面する度に気持ちが揺らいでしまう。誘惑に弱い。
ただはっきりここで述べておきたいこととしては、私にはPIの能力は皆無に等しいわけで、先程のコミュニケーション低評価にもあるようにアカデミアで生き残るうえで必要なコミュニケーション能力(アカデミアは研究だけでなく、政治の世界と入り乱れた世界なので)が欠けている。じゃあポスドクを延々とやってられるかというと、結婚もしているわけで、もし子供ができようものならそんな育休や時短勤務などができない環境で働けるものか、という理由もある。独身か、既婚かでここのあたりの選択は大きく変わると思う。アカデミアの任期付の是非については肯定も否定もしないが、少なくとも自分自身の生活が安定軌道に乗るまでは任期のない安定した収入がほしいという気持ちがあった。独身だったら迷わなかったけどね、こればかりは仕方ない。
4月からは研究者として創薬に携わることになるのだが、この分野は今丁度AlphaFoldをはじめ、機械学習の応用先としてアツいトレンドになっている。AlphaFoldのようなものでも「進化の考え方」がベースに組み込まれているように、進化生物学が社会に全く役に立たないなんてことはなく、むしろそれをどう社会に応用していくのか、というのも大事なんじゃないかとも思ってる。その点で私は従来の創薬とは異なる視点から貢献できたらいいかなと思ってる。というか、集団遺伝学とかメンデルランダムの考えとか製薬とは基本的に親和性高いと思うんだけどなあ。
基礎生物(進化生物学・生理・遺伝)とIT(バイオインフォマティクス・システム開発)の両軸で生きてきたわけで、それを統合する機会が得られるというのはいい機会だと前向きに捉えている。
なんやかんやアカデミアへの未練も「ボーナス出たら絶対未練なんてなくなるから大丈夫」ってよく言われるので、大丈夫だと思う。早く給料ほしいです(クレカによる自転車操業状態なので4月に給料日なかったら死んじゃう)。
今後数億年を見据えて
さて、今から約4億年前の出来事を明らかにしようと研究してきた身としては、今後数億年に目を向けねばならない。初期の、肺呼吸ができるようになった魚が徐々に陸上へと適応し、その重力に打ち勝つための形質を獲得したように、我々人類もまた今、宇宙へと適応放散を始めようとしている、まさにその時代にある。
宇宙へと適応するには様々な課題を解決しなければならない。放射線や無重力、あるいは別の星に着陸、生存するにあたっては今現在の地球よりも大きな重力への適応や解毒、等々。我々Homo属の人類らはこれまでの数千年「道具の発達」によってゲノムの進化速度よりも早く適応放散を成し遂げ、成長してきた。そうした今後数億年の「進歩」を促進するうえで「道具の発達」は急務であり、それこそが人類をはじめとした「地球由来生物」を宇宙へと押し上げるものであると考えている。もちろん、今後地球外文明との協調・敵対などの宇宙社会学などの分野の発展も必要ではあるが、まずは人類が長期間航行・世代交代ができる技術レベルにまで発展しなければならない。それを押し上げるうえで必要なのは「道具の発達」であり、その基盤となるものはやはり「基礎研究」である。マテリアル、量子、地球生命の理解、そうしたものをベースアップしていくことで宇宙への進出が現実的になる。
私がそれにどう寄与できるかはまだわからないが、まずは量子コンピュータによって生命の現象をより網羅的に明らかにできるのではないかという可能性にかけて量子計算技術の勉強をしている。線形代数なんて学部生以来なので量子力学等の教科書と併せて勉強している。まだまだ学びたい気持ちは死んではいない。(ただまあ、なんかすごい技術と思ってぼんやり始めたはいいものの、NISQの限界点などしんどいポイントなどの解像度が上がってきていてちょっとしんどい)
宇宙の進化にも強い関心があり、そのあたりの情報もぼんやり集めてる。地球外生命体の可能性も、太陽系内においても可能性があるわけで、誰かガリレオ衛星に片道切符でもいいから飛ばしてくれるのであれば、私は喜んでこの身を捧げて研究調査に赴くであろう。
さいごに
何言ってんのかわからん方向になっているが、博士課程自体そのものは非常に有意義であるものだった。ただ色々体調がおかしくなったりして、これが生活によるストレスなのか、博士課程によるストレスなのか、確かめようがないものの両者ともに無関係とは言い切れないだろう。あと色々と立ち回りには学生時代でも気をつけたほうがいい。良くも悪くも既に論文業績や学振DCなどの「競争」が存在する業界なので、自分の知らないところで恨まれたりすることがある(見ず知らずの人に目の前で泣かれたことがある)。Twitterなんか露骨で、私とNatureだけしかフォローしていない監視垢みたいなのにいくつかフォローされたりね。ただまぁ、これから博士課程に進みたいという人は何も言わずとも進んでいくだろうし、私みたいに一瞬でも迷ったことがある人間はこうして破滅してしまう可能性があることを忘れないように。いいか、忠告したからな!
いいか! 行くなよ! 絶対行くなよ!!!!!!!!!!!!!!!!
おしまい。