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なぜ新書を読むことにしたか

今年の抱負として新書50冊とした.既に「数だけ読んでも意味がない」「トンデモ本をも読むのか」という指摘を受けている.しかし私は読むつもりだ.何故か.「様々な価値観を取り入れるため」だ.

例えばこの「トンデモ」という言葉であるが,例えば”量子水”などについて書かれた本であったらそれは明らかに”科学的に”正しくないため「トンデモ」だろう.それは間違いないと私は考えている.しかし科学によって立証することができない歴史的・道徳的・宗教的・政治的な事柄はどのようにその”正しさ”を判定すべきだろうか.

私はTwitterをやっているが,そのTLに流れてくる多くのツイートは極左や極端なフェミニズムの思想・考えを持つ人々に非常に冷ややかである.私自身もまた,冷ややかな姿勢をこれまで取ってきた.

しかし,彼らは彼らにとっての「正しさ」の理念を元にその思考・発言を行っている.私には理解できないその「正しさ」を「トンデモだ」といって切り捨てて良いのだろうか? 一般的な,現代社会に適合しない考えだといってそれを切り捨てるような姿勢を取っていて良いのだろうか? 最近になってそのような考えを持つようになった.

「正しさ」というものはその時代であったり,地域,文化,宗教,性別によって非常に異なる.ジェンダーなどはその典型例であろう.国や時代によって考え方が大きく異なる.つまり,絶対的な「正しさ」というものは(科学を除いて)存在するはずがない.もしどうしても「正しさ」という言葉を使いたいのならば,「私にとっての正しさ」「現代の日本における正しさ」というふうに使うべきである.つまり,その時と場所におけるヒト集団,もしくは個人が「正しさ」を別個にもっていると言える.この「正しさ」の差が「価値観の相違」であろう.

そして私は様々な人間の「正しさ」を知りたい.その時代を生きる「価値観」を知りたい.その欲求が根底にある.

もちろん,最初から怪しげな,ペラッペラな内容の薄い本を読む気は更更無い.私はたとえ自分の価値観に合わなくても,信念を持つ者が書いた本を読みたい.そして今現在,過去に生きる人々がどのような考えを抱き,生きたか.様々な観点から読んでいきたいと思う.

最後に.私が得たいのは「教養」であって「雑学」ではない.知識を増やしたいのではなく,人間を深めてみたいのだ.