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なぜ「失われた生き物をよみがえらせる」プロジェクトはダメだと言われるのか

昨今,Twitterでは「失われた〇〇という生き物をよみがえらせるためにXXという地域から分譲してもらったので放ちました!」という記事に対して生物学者が総ツッコミを行うという寸劇が繰り返されている.

例えば,以下の新聞記事ではカジカガエルをよみがえらせようというもの.

カジカガエル 美声よ再び 卵から飼育、放流へ 佐賀・脊振

これに対してTwitter上の生物学者(とりわけ生態・分類・進化生物)が悲鳴を上げている.

なぜなのか,今回の記事では一般向けにざっくりとした問題点を挙げておく.そのため,細かい表現などは若干甘いのでご了承を

「同じ種」であったとしても同一な”遺伝的背景”を持つとは限らない

問題とされているのが,全く別の場所からの移入ということだ.

「国内産だからどこも一緒じゃないの?」

と疑問に思う読者もいるかもしれないが,実は地理的に「種」というものは遺伝的に微妙に離れていることが多い.

見た目では全く同じような生物でも,ゲノムレベル(生物が持っているDNA全部の情報)で見ると,もしくは遺伝子レベルで見ると微妙に異なったりするのだ.

なぜそのようなことが起きるかというと,その地域ごとに生息する他の捕食者・被食者との相互関係であったり,その地域特有の気候であったりなど,その環境に合わせて生物が適応している場合があるからだ.

「種」が別れていく「種分化」というものが引き起こされる原動力の1つとして「地理的隔離」がある.この地理的隔離はその名の通りある生息域から(ざっくりいえば)物理的に切り離され,遺伝的交流が断たれることによって引き起こされる.

この地理的隔離が起きてからしばらくすると,隔離された集団はもとの集団とは徐々に異なる遺伝的多様性を持つようになっていく.

これがあと数万,数百万,数千万年もすれば別の種になったりするかもしれない.

それを今,我々の「昔あった風景を取り戻したいというエゴ」のために他の地域から移入してその地域特有の遺伝的多様性をぶち壊している,ということだ.

交雑が起きていなかったグループ同士を掛け合わせることによってこれから起きることが何なのか,予測はつかないが,少なくとも彼らが望んでいるような「自然な状態に戻す」ことではないということは断言しておく.

じゃあその地域から取ってきた個体を殖やすことは?

「他の地域から移入させることは良くない」ということで「じゃあ今度はその元々いた地域の少ない個体群から取ってきた個体をニンゲンの手で殖やして戻すってのはどうなのか?」という話になるかもしれない.

私個人の意見だが,これは「NO」だ.

自然においては生物集団というものはある程度の個体サイズから成っている.そのため遺伝的に「多様」な状態が保たれているのだ.(ここでいう「多様性」というものはいわゆる「生物多様性」とは違う.そのある1つの種の中での多様性の話だ.簡単に伝わるようにすると,我々「ヒト」という「種」も例えば目の色1つを取っても青から黒まで様々な「多様性」を持つ.それと同じことが生物集団の中でもあるということだ.)

なんでこの「多様性」が重要かと言うと,なにか大きな伝染病や異常気象が生じた際に遺伝的多様性が低いと皆同じくある原因に弱くて死んでしまう,ということが起こりうるからだ.

逆を言えば遺伝的多様性が高ければ集団内の少しだけでも耐性があるものがいて,種が滅びる可能性が少なくなるということだ.

で,我々ニンゲンが川や海からその種の少数だけをサンプリング(採取)してきてそれを大量に殖やし,野山に放つとどうなるのか.

その大量に増やされた,ほぼ同じ遺伝的バックグラウンドを持つ生物が野山の中でのその種の多くを占めてしまうことになる

つまり,遺伝的多様性が非常に低い状態になり,その集団・種が将来的に絶滅する可能性が高くなるということだ.

じゃあいっぱい取ってきて殖やせばいいかというわけにもいかない.場所の問題もあるしそもそも生態系に与える影響が大きいために本末転倒の状況になってしまう.

また,殖やして戻したところでその生物が食べるための被食者が足りないようであれば今後維持される可能性は少ないし,その生態系に与える影響も大きくなってくる.

それに野山に放つ行為をしている人たちの多くは脊椎動物などの高等生物や,珍しい昆虫などばかりに着目して微生物などの目に見えないような生物については全くの無頓着である.皮膚に常在している菌や,腸内細菌等を含めたら外部から持ち込むリスクは非常に高くなっていく.

だが,ここまで考えて環境保全活動に取り組むヒトは多くはない.彼らは「昔あった」「懐かしの」「こんなかわいい・きれいな・珍しい生物を失うのは損失だ!」くらいにしか思っていないのだろう.今後数万年,数百万年先のことは想像すらしたことないのかもしれない.でも別に彼らを責める気はない

無関心でないことが何よりまず大事だからだ.

ただ,少し,少しだけでいいのでその生物をその場所に持ち込む,という行為について今一度考えてみて欲しい.生態学・進化生物学の研究者たちも,ただ「ダメ」「こんなことするなんて馬鹿じゃないのか」というだけではなく,なぜダメなのか,あなた方の知識を世のために役立てて欲しい,という思いがある.

結局どうすればいいのか

「どうしようもない」「自然に任せるしかない」というのが私の意見だ.その種がその地域から絶滅したり,生物多様性が著しく低くなるかもしれない.だがそれはせいぜい我々人類が観測しうる範囲の時間軸の上であり,数百万年先の未来ではそれが回復したり,逆に多様化を促進させるきっかけになるかもしれない.現に今ある地球上の生物は何度も多様性を失っては取り戻してを繰り返した結果である.逆に変にいじくることで今後どうなるか予測がつかなくなるだろうという点において,私はあまり積極的になれない.

昔あった景色をもう一度見たいという気持ちは正直私にもある.だがもう一度壊してしまったものは完全にはもとに戻せない.ヒトのエゴで破壊しておきながらヒトのエゴで戻そうとするのはいささか勝手すぎるのではないか.

大事なのはこれからどうするかであり,今後の開発について,環境にどういった影響を与えるかを考えていくべきなのであろう.